2017/01/21

猫の昼寝を見て思うこと

所用で少し外に出る。家にいるのがもったいないような、いい天気。
暖かい日差しと穏やかな風。それがあるだけで幸せな気分になれる。

だが、トランプ大統領の就任もあって、世の中全体としてはますます大変なことになりそうな気配。
トランプ大統領が就任したからではなく、世の中が大変なことになっている流れの一つというのが現実だとは思うが。
そりゃじゃクリントンが大統領になっていたら、どうなっていたかと想像すると、マシなようになるとも思えない。
だいいち、ここ日本においては、どのみち米国に振り回されるという70年以上の流れは変わらないし、それがこの世界の変化という激動の中にあっても、変わるという見込みの片鱗すらない。

原発事故から6年がたとうとする今、その問題が片付くこともなく、被災者はなおざりにされた侭またはそれ以上の辛い扱いを受けつつある。そして問題はそればかりではなく、この6年の間に次々と様々な問題や状況が訪れ続けている日本。明るい兆しや方向はなかなか見出すことができない。

あまりの酷さに、もう何があっても憤りというものを感じない、憤り続けるということは普通のニンゲンには不可能なことなのだろと最近は思う。
もちろん、今の状況でいいなんて思っているわけではない。
何かのきっかけで状況が好転することがあればいいとは思っている。
だけれども、それは今までの延長の考えでは実現しないと思うのだ。

それが何かというのはわからないけれど。
間違いなく時代は大きく変わろうとしていて、「変われない彼ら」はジタバタと何かにしがみついていたいのだろう。自分の唯一信じる価値観の元に。
けれど、時代は大きく彼らをさらっていくだろう。そして、その時代の中で変わらなくては生きていけないのは彼らばかりではなく、自分たちもなのだよね。

家では飼い猫が暖かい日差しが当たる、特等席の窓際で昼寝をしている。
自分は日差しの全く当たらない北側の自室で机に向かっている。
どうして天気もよく家にも日が差しているのに、暗い部屋で電気を使って仕事?をしているのだろう。
天気の良い休日だからこそ、こんなことを考えるのだけれど、自分も含めてほとんどの人が一生の間にお陽さまに当たっているよりも、どこかの建物で電気を使って生活しているわけで。


地球のいきものってのは、火と水と空気と土に支えられ、循環しながら生命をつなげているわけだけれど、そういうことをニンゲンは普段の生活の外においてしまった。快適な生活のために、雨風をしのぐために家を発明して住むことにしたのだと思うけれど、その家を一番有効活用しているのはニンゲンじゃなくて飼い猫だったりする???

長いニンゲンの歴史の中でも、いつも猫はニンゲンのつくったもの中で生きながらベストポジションを保ち続けたのではないだろうか。
羨ましい奴らだ。

「だったらそうすればいいじゃないか」
猫たちに言われている気がする。
雨風がしのげて、暖かい日差しがさす時は、そういう特等席で仕事や生活ができるような場所。
そういう幸せな場所を探して、そんな生活が維持できるような未来を想像すると、なんだか幸せになれる気がするし、それは決して実現できないことではない気がしてくるのだよね。

もちろん、世の中は激流の中にあって、日本なんて、ちっぽけな小舟みたいなものだ。20年くらい前は、こんな小舟でもなかった気がするけど、多分、僕らの時代の時に舟はどんどん小さくなり続けていたのだ。自分たちが歳をとることを日常では忘れているように、徐々にそれは訪れていて、やがて若い時のように動けないことを知り、最後はこの世にさよならするってことを忘れてただけだよね。

そういうことに気がつき始めると、やっと自分の生活の質みたいなものを意識し始めるんだよね。
生活の質というのは、もちろん他者との関係も含めてだけど。
ちゃんとした人としての感情も失わずに、自他の幸せを感じられて、ここに生きていて良かったと実感できるようになること。
「ありがとう」と言って死ねること。「ありがとう」と言われて死ねること。
ああそれも、もしかしたらどうでもいいことなのかな。

人が歳をとるように、人類という種は歳をとるのだろうか。
世界は、日本は、歳をとるのだろうか。

ああ、もう日が暮れてしまった。
最近、嵌っているMJでも聴くとするか。

They Don't Care About Us
かっこいいバージョン


They Don't Care About Us
日本語字幕付

そしてこれだね

Man in the mirror




2016/05/28

タキシードキャットについて

サンタ・ガブリエル (St.Gabriel)

うちのサンタはタキシードキャットと呼ばれるやつで、アメリカンなやつだった。

彼の地では好待遇なんだね。
タキシードキャットって、ちょっとかっこいい名前じゃない?
というわけで、気になっていたので調べてみた。

#Tuxedo-cats 

で画像検索なんかするとでてくるでてくる。
古くはT.S.エリオットのジュリクル(後のミュージカル”Cat”で知られる)に始まり、ディズニーの最初のアニメ動物でもあるジュリス、同じくディズニーのピノキオにでてくるフィガロ、そしてフェリックストム、あのシルベスターと愛され続けてきたキャラ。



JuliusFigaroFelix
TomSylvester

パンタ
ピヨちゃん
先代のパンタやご近所の獣医さんの看板猫はハチワレと言った方がいい和猫系? パンタはすごく賢くて野良の兄弟たちを支えていたし、獣医さんのピヨちゃんも看板猫として、いつも多くの犬猫を優しく迎えているので超賢い。
JuliusやFelixの流れかもしれない。

どうも短毛の方がクレバーな感じがするのだけれど。


同じ黒白なのに、サンタは賢いというか。。。
おもろいキャラである。

まあ、タキシードという意味ではほぼ完璧である。
タキシードキャットはどちらかというと長毛であるし、ホワイトグローブにホワイトソックス、おまけに右手にはホワイトスポットのお洒落までしている。マスタッシュありだから、クラーク・ゲーブル・ルックってやつか。
これでボータイつけてくればね、惜しい。(本物のシルクのボータイつけておこうかな)
性格はシルベスターです、まさに。「超うるさい」とよく叱られています。





参考)Cat Breeds Encyclopedia
Tuxedo cats are not a breed but a color pattern that may occur in almost any type of domestic cat.
The effect is of a cat wearing formal attire and is really pretty cute.
Tuxedos can have white on the face and the tip of the tail as well, but the main requirement is black body, white chest and white paws.
Occasionally a tuxedo cat will have the ultimate accompaniment to their fancy attire in the form of a mustache. That Clark Gable look is very hard to resist.
The rarest of tuxedo cats sport a black patch on the white chest that resembles a bowtie. These cats are referred to as "black ties" and are considered to be lucky in bringing wealth to their household.
Tuxedo cats are sometimes referred to as "Jellicle cats" from the T.S. Elliot poem  "The Song of the Jellicles" from his unusual book "Old Possum's Book of Practical Cats"


タキシードスタンは風格あるね。
http://www.konekono-heya.com/famous/tuxedostan.html

そういえば、野良猫からファーストキャットにまで上り詰めたやつもいた。
http://presidentialpetmuseum.com/pets/socks/

こんなのもあったよ。007といえばタキシードだものね
http://www.catsvscancer.org/2015/10/exclusive-kori-the-tuxedo-cat-critiques-the-james-bond-tuxedos/

2013/11/26

それじゃ秘密は守れないよ--その1--

特定秘密保護法が日本国民にとって、どんなに危険かは言い尽くされてきた気がする。

それでも「特定秘密保護法は可決すべきだ」と思っている人たちとってはそれは、「左翼的な考え」とか「平和ぼけ」とか「国防を真剣に考えていない」
ということになるのだろう。

よろしい、そういう考えもあるよね。
確かに国防は必要だ。そのためには機密は守らなければならない。そのとおりだと思う。
日本はスパイ天国だというではないか、確かにそれは事実だろうからスパイ君には諦めて帰ってもらうようにしなければならないよね。


実は日曜日、私は仲間と共に「特定秘密保護法反対」のフラッシュモブってやつに参加していた。

文章とは関係ありません(笑)

そして、夜はそのまま仲間たちと渋谷のちょっと奥まった魚料理屋に飲みにいったのだった。
すると、目敏いCHI姉さんが例の裏切り者党首を見つけた。
みんなで「特定秘密保護法はんたーい」と言ってやった。たぶんそそくさといなくなった。

すると、私たちと大テーブルを相席していた二人の若者たちが「ニヤニヤ」と。

「お兄さんたち、うるさくしてごめんね、でも、特定秘密保護法には反対だよね〜」
CHI姉さん。
「いえ、残念ながら、僕ら賛成なんです」
「えっ!」

「えー、じゃぁ、お兄さんたち戦争になったらいくの?」
「行きます」きっぱり
「あっ、そう、そこまで言うならねぇ、いいや、色んな考えがあるってことで、これ以上突っ込まない」
「そうっすね」

といった感じ。

彼らはすごく礼儀正しくて、とても○特会の奴らみたいな感じではなかった。
そう、真面目に日本のことを心配している若者もいるんだよね。

でも、そういう本気で日本のことを心配するような彼らをよそに、この「秘密保護法」では、全く国防や外交のための重要な機密は守れない。
何故か?


まず、
外国人のスパイをこの法律では裁くことができない。
この法は日本国民が対象だから。

これで「スパイ天国でないようにしよう」っていうのが基本的にウソだってことがわかるよね、小学生でも。
秘密漏洩に関して、関係者に対して厳罰を処すってこと、つまり、罰の強化で漏洩を防ごうっていうのが、この法案の骨子なのに、罰を受けるのが、外国人スパイではないってこと。
まぁ、スパイって秘密が漏洩したことさえ気づかれないわけですけど。

最近ちょっと、ぶいぶい言っているらしいスタンフォード大学の日本人教授の言葉だとかを鵜呑みにしていた貴方、ちょっとは「あれっ?」って思ってくれたかな。

でも、外国のスパイの手に渡る前に情報を持っているのは、日本人だから、そこから出さないようにすればいいと考えるか。
それはある意味正しいけれど、ある意味間違い。そして、この法はそれに対して何らの関与も影響もない。

というのは、この法案は情報漏洩は何故起こるのかという、情報管理の要諦が全く意識されていないからなのだ。
情報漏洩は罰則強化だけでは防ぐことができない。
こんなことは、情報管理の常識なのであり、こんな法律をつくる前にやらなければならないことがたくさんある。
情報管理について言えば、企業であっても国であっても基本は同じ。
しかし、企業はまだ情報管理について従業員教育を徹底したりすることができるのだが、国とか地方自治体、官庁となると、従業員教育というようなことが大変やりずらくなる。

それは企業がその営利を目的とした組織の成り立ちに沿ったポリシーをつくれるのに対して、官庁などは組織保全は考えるものの、目的が何であるのかがわかりずらくなる。それは、即ち「何を守るのか?」ということが不明瞭だということなのだ。

さあ、ヒントはたくさん出したから、私が次を書く前に、自分で考えてみてくれ。

2013/07/13

三宅洋平 ---ボブ・マリーを超えて--- (2) Gypsy Song

原発事故、それは遂に開いてしまったパンドラの箱。
事故の後には、その箱に一杯に詰まっていた嘘や欺瞞が一挙に吹き出した。
3号機が黒煙を吐いて爆発したとき、私の友人の何人かは関西方面に車で逃げた。そのことを後から聞いた私は、その情報力と行動の早さに驚きはしたものの、何も責める気にはならなかった。彼にはまだ小さな子供もいる。子を持つ親ならそこまで考えても当然だろう。

しかし、世の多くは、被曝を恐れて逃げる”被害者”が過剰反応であるかのような、まるであべこべな過剰反応を示した。「立場上、逃げれない者を見捨てるのか?」「不安を煽るな」「日常性を大切にしろ」と。
何故だろう?放射性物質を含んだプルームは間違いなく関東一円以上に広がったわけであるし、それは等しく皆の回りに降ったのだ。そうした被害を受けた側として同じ立場の人間同士が危険性に対する解釈の違い、立場の違いで分断されていった。
そして、ただ自分や自分の子供たちの命を守りたいという行動には、一切の支援もなく、残った人たちにさえ、ろくな保証もできない、私たちの国。
2011年に私たちが実感したのは、そうしたパンドラの箱からの黒煙の正体だった。

三宅洋平もその分断の中にいた。
”震災からの傷。反原を訴えていた頃から理解されずに苦しみ、事が起きた直後からも内部被曝の危険性を訴えて理解されずに苦しみ、不安を煽るなデマを流すなと叩かれ、かねてからイメージしていた沖縄に安住の地をみつけた事を理解されずに「逃げやがった」「裏切り者」と揶揄されて苦しみ、住み慣れた街を突然予期せずに離れたことに戸惑い、何より関東に残った仲間や家族と心が繋がれなくなった事に苦しみ、正直俺もPeace-Kもボロボロだった。いや、みんなボロボロだったんだな。借りたギターで飛び入りしたライブで『意識の大陸』を唄う前に、Peace-Kと目を合わせ、「あ、一緒に音楽やるの、久しぶりだね」と呟いた。超然と大きなバイブスを発する、絶対的守護神のリズムマン、Peace-Kがいつもよりずっと小さくみえた。それでも、俺たちは此処で、この瞬間から、ゆっくりと新しい時代に向けて、また音を鳴らし始めたんだと、一条の小さな喜びの光が、差し込んだ気がした。”(三宅日記より )

参議院選挙の初日、吉祥寺の選挙フェスのときに三宅洋平はこう言っていた。
「逃げるという言葉が禁句だった時期があります。そのときに俺は、福島や宮城や東京や群馬や埼玉の仲間たちに自分の気持ちを伝えるため沖縄の台所でつくった歌です。」

Gypsy Song


2012.5.30 (仮)ALBATRUS / ALBATRUS / 1st album

”2011年11月18日録音。東日本大震災と、原発事故から生まれた、「それ以降」の­社会。そこで、多くの現実と向き合わされてる僕らは、これまでにないほど哲学し、多く­の価値観に気づかされてきた。 それはバンド内とて同じことで、そうしたメンバーたちの感情の最大公約数を曲に求めた­中で、どの距離に居る人にとってもポジティブで強い響きを持つ唄を書きたかった。 珍しく5テイク目までかかったと記憶するが、何かが舞い降りて「息が合った」OKテイ­クをミキシングルームで確認する時、「ただ音楽を鳴らす」のとは訳の違った2011年­の永くて短い録音の完成を知る。そっと、涙する者も居た。 製作期間を含めても「のべ2週間」ほどの限られた「集合時間」、の中で作り上げられた­渾身の1stアルバム。 その最後を飾るに相応しいソウルフルなテイクが録れた。 元晴のソプラノサックスが効いている。”(仮)ALBATRUS - ジプシーソング (Offical Video) より

原発事故後、始めてリリースされた (仮)ALBATRUS 1st アルバムは「それ以降」の社会を駆け抜けるための新しいリズムと優しさに溢れていた。
そして、この曲は沖縄での時間の経過とともに、もっと意味の深いものになっていったのだと思う。三宅洋平がライブでこの曲を歌うとき、ときおり枕歌のようにイントロに歌うのが、「平和の琉歌」(桑田佳祐作曲作詞)である。

この国が平和だと
誰が決めたの?
人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下
夢も見ました
民を見捨てた戦争の果てに

蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります
愛を植えましょう この島へ
いつか咲かせる愛の花
・・・

”去る10月に、南部は佐敷(沖縄県・南城市)の毛遊び(もーあしび)に呼ばれて出演した時、出演を依頼してくれた地元の青年マーシー君が佐敷の浜を指差して「洋平さん、あすこの浜で13万8千人が死んだんですよ」。本土返還後、日本のナショナリズムに対抗するために根強く発展していった琉球独自の民謡と芸能文化の象徴である毛遊びに、ナイチャーの僕を出演させてくれたというのは、かなり奇跡みたいな話であり、その感謝の念は生涯消えないと思う。
また、本部の市場でみせてもらった戦争写真集で見た、沖縄戦直後の那覇の街並みが、文字通り巨大なクレーターのようにえぐれて、一切、全くなにも残っていなかった。あの景色も、目に焼き付いては離れない。日本人のどれほどが、広島、長崎を凌駕するこの歴史を認識しているだろうか。
(WIKI:沖縄戦より抜粋)陸海空において日米の大兵力が投入され、両軍最高指揮官が戦死するなど第二次大戦における最激戦地のひとつであり、使用された銃砲弾の数は、アメリカ軍側だけで2,716,691発。このほか、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された[3]。また、地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われたため、この戦闘を沖縄県では「鉄の雨」や「鉄の暴風(英:Typhoon of Steel)」などと呼ぶ。[4]そのため、不発弾処理は陸上自衛隊第101不発弾処理隊と海上自衛隊沖縄基地隊の手により、現在も継続中である。沖縄戦での全戦没者は20~24万人とされる。沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄出身者が122,228人[5]、そのうち94,000人が民間人である。日本側の負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者は12,520人で、負傷者72,012人であった。
南部、中部、北部、逃げ場の無い沖縄の地は、日本のナショナリズムの押しつけのために、米軍の嵐のような艦砲射撃と上陸作戦によって完膚なきまでに焼き尽くされて、沖縄民間人の死者数はいまだにハッキリしないのです。
基地問題、沖縄の歴史。縁あって沖縄へ移住した僕は、日本国内で実に軽視されているこの問題とも、向き合う義務を感じます。
ひとつの文明周期が終わりを告げて、僕らは意識高く変化の道を歩み始めました。民を忘れた経済と政治の論理に、悲劇が繰り返されるのを停められるのは、他ならぬ僕ら民の力です。文化の力です。”(三宅日記より)


それは嘉手納の基地だったんです、武器弾薬庫、放射能から逃げてきたら、基地問題の最前線に飛び出してしまった。そのとき、日本が抱える問題っていうのものすごく感じたんですね。沖縄住んでいる人たちの生の声の中で揉まれて色々気づくことがいっぱいあったんです。原発立地と起きている事が一緒だと。。
でも、ホントにそれを押し進めている人はそこにはいないんです。。。(参院選 7/5 新橋駅前演説にて)




Gypsy Song はまさに彷徨いながら、ふと顔をあげて見上げたそのときに、浮かんできたようなラブソング。それはまた、何度も振り返りながら、その意味をさらに深め広げていっている。


海わたり ゆけ
海わたり ゆけ今

大地を休ませて
思いも寄らない場所まで Yay

どこかココロの奥の方で
夢見てた世界へ

白浜の砂 踏みしめる
君のその裸足で Yay

一夜に落ちてる
貝を拾って その指で
月夜に満ちてる
愛を見つけて その胸で

開いた感性の
終わりなき旅路のはじまりだよ

旅に出る時だ
旅に出る時がきた

世代を乗り越えて
未来に帰り着くまで Yay


いつか刻の向こう側で
開いたままのぼくらで
野生の大地を取り戻す
ここに種を撒こう

木漏れ日に溢れる
風を信じて この思い
星屑に捧げる時と
変わらぬ この思い

開いた感性の終わりなき
旅路のはじまりだよ

move japanese all over the world!
remove yourself from mighty control!

run! take your daughter!
run! take your son!

this is a gypsy song

go faraway!
go faraway
from the radiation!

this is a gypsy song

go faraway!
go faraway
to keep the generation!

this is a gypsy song

go faraway!
go faraway
from the radiation!

this is a gypsy song

go faraway!
go faraway
keep the motivation!

to be yourself!

yes, be yourself! ah
yes, be yourself! ah
yes, be yourself! ah

be yourself!
be yourself!
be yourself!

海わたり ゆけ
海わたり ゆけ今

旅に出る時だ
旅に出る時がきた

世代を乗り越えて
未来に帰り着くまで Yay