50年という歳月は、たぶん自分がこの世に生まれてからの歴史を振り返るのには丁度よい歳月なのだろう。
この世というものが、一体どういうものであるかが大体わかり始めてくる気がする。
「五十而知天命」という言葉は理にかなっていると思う。
私たちが子供の頃、まだ、親たちは太平洋戦争の頃の話をしていた。
お盆の時期になると親戚が一同に集まる。そうすると必ず「空襲」のときの話を親たちはしていた。
私の生まれた埼玉県熊谷市は終戦の前日に空襲となり、多くの人たちが命を落としたのだ。
私が生まれたのは1960年、考えてみれば、終戦から15年しか経っていないのだ。
15年前の1996年といったらインターネットが日本に普及し始めた頃だ。
10歳のときが大阪万博の開かれた1970年である。それでも終戦からたったの25年。
今から25年前と言えば、バブルの絶頂期くらいだ。
懐かしいと言えば懐かしいが、つい昨日のことのようにも思える。
時代は少しずつ変わっており、そして、全く変わっていないこともある。
少なくとも、日本の戦後レジュームというものは大きく変わっていないと思える。
日本の高度成長期が子供時代であり、そしてその成長が止まり、長い先行き不透明な時代。
そして、その日本の戦後社会の総決算ともいうべき事件。それが今回の原発事故ではないかと思う。
私たちの親たちは、「物質的窮乏」のただなかにいた。太平洋戦争に負けたのは「物質的窮乏」のためだと親たちは思っただろう。大量生産ができるようにならねばと。
広島・長崎に原子爆弾が落とされ、唯一の被爆国となりながらも、"Atoms for Peace" という米国の思惑に基づくプロバガンダと東西冷戦時代という背景は、この地震国日本に無理やりにでも原子力発電所をつくるという選択をさせる。
私たちの世代の記憶には、「初期の怖いゴジラ」と、「人間の味方になってしまった人気者怪獣ゴジラ」がいる。
私たちは原子力 "Nuclear Power"という力に左右される時代を生きてきた"Nuclear Age"というわけだ。
そして、また20世紀後半から21世紀の初めという約半世紀のことを後の世では"Nuclear Age"と呼ぶに違いない。
>続く
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