2007/01/07

ナホトカ号

 10年前の今日、 ロシア船籍タンカーが大しけの日本海(島根県隠岐島沖)にて破断事故によって浸水沈没し (1月2日)、船体から分離し漂流した船首部分が大量の重油とともに福井県三国町安島沖に座礁した。 「ナホトカ号重油流失事故」。

 阪神・淡路大震災を経験したこともあり全国からボランティアが集まり、汚染された海岸の清掃にあたった。
NGOやボランティアはインターネットを活用し、迅速な情報収集と配信を行なえた。ネットワーク元年とも言われている。

 当時、私は8年間勤務していた会社を退職し、何か自分が役に立てることを探していた。阪神・淡路大震災のときには、なかなか情報を得られなかったのと行動を躊躇していたため、震災後の様子を確認することはできたものの何も役に立てなかった。しかし、この事件のとき私は某NGOの活動に参加しており、その仲間が所属していた某自然食品宅配会社の呼びかけによるボランティア召集に応じて、深夜バスで三国町に向かった。

 参加していたインターネットのメーリングリストにも、現場の様子や海外からの支援申し出などの様子が報じられていた。それに対して行政側の対応は、いかにも後手後手となっているように思えた。関係省庁、自治体の連携対応ができているとは思えなかった。三国町の美しい海岸線に無残に漂着した重油を私たちは手柄杓ですくうしか方法がなかった。

 10年たった今、状況はどのように変わったのか?
 事故の解決は補償問題だけではないはずだ。再度同じような事故が起こった場合に、もっと迅速に関係省庁や自治体が動くことができ、被害を最小限に止めることができるのか。事故後、NGO やその他の民間団体を中心に「ナホトカ号から学んだこと」を原点に様々な取り組みがされたことは聞くが、行政機関では何らかの改善が行なわれたのだろうか。政治家が蟹を喰うパフォーマンスをしていたことは記憶しているが、それではお話にならないだろう。
 事故後の重油で汚染された砂の処分に関して、産業廃棄物業者の不正をきっかけに問題が発生しているというニュースを最近見かけた。
 
参考:
MSNニュース 毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20070105k0000e040075000c.html
読売ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/feature/kankyo/20060808ft05.htm

 こうした環境災害から生態系や野生動物を守るということに関しては、災害でなくとも生態系や野生動物を守るということにどれだけの配慮があるのか、我が国の行政の方針は見えてこない。特に海洋の生物(海岸を含む)に関してはすべて水産資源とみなされ、水産庁の管轄になっているのが現状だが、水産庁が行なっている「資源調査」には保全するという観点や生態系という観点が抜け落ちているのではないかと思うのは私だけだろうか。
それ以上に情報開示がされているのかどうかもわかりずらいのだが。
 「環境」という観点からすれば、陸上動物と海洋動物とで管轄官庁が分かれているのもいかがなものか。環境「省」と格上げになったわけだから、農林水産省と対峙する、つまり陸海の生物の扱いを産業側と非産業側とで検討するというのは理にかなっていると思うが。

参考:
水産庁 
http://www.jfa.maff.go.jp/
環境省 
http://www.env.go.jp/

 もう一つ10年後といえば、インターネットという通信インフラの環境も大きく変わった。
 もちろん、こちらは環境としてかなりの進歩をしたのだが、その使われかたについてはどうだろうか。一般的になったことはすばらしいことなのだが、ビジネス目的または個人の自己顕示欲のために、WEBはアクセス数の向上ばかりが意識されすぎてはいないだろうか。その中で重要な情報が埋没してしまっている気がする。
 特に、我が国では公共の情報公開整備が遅れていることは否めないだろう。我々自身が関心を持つようにすることはもちろん、情報を公開する側の工夫や意識改革が必要だろう。いつまでも「知らしむべからず」では、政治に関心を持ちようがないではないか。


 

2007/01/06

四十にして惑わず...

「四十にして惑わず」と言いたいところだが、この十年間は迷いっ放し、暗中模索もいいとろだった。だが、そうであるからこそ確信が持てることもあるのだと今は開き直りたい。
 四捨五入で四十となる、私のこの十年間とは、人生何度か目の挫折から方向転換してIT業界といわれるところに身を投じた十年であり、日本のインターネットの草創期からの十年と言ってもいいのだろう。それはまた、バブル経済が崩壊し、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災などの国内の大事件を経て、日本の安全神話が過去のものとなったお先真っ暗時代に始まり、期待の21世紀の開幕は9.11事件、イラク戦争、などの決して明るいとは言えない事件の続出であった。「失われた10年」とも言われる時代とも重なる。迷いながらも、あっという間に過ぎた私の「不惑」の歳月以前を振り返りつつ、次なる時代へと結びつけられそうなことが書ければ幸いだと思う。

 こんなことを書き始めたのも、閉塞感が、もういいかげんに来るところまで来たのだから、振り子のゆり戻しがあってもいいだろうという僅かな期待からである。折りしも、米国では共和党が中間選挙で大敗した。小泉政権も終わった。日本ではまだきな臭い動きが止まらない感があるが、少なからず米国の動きに影響されることは間違いないだろう。 良い具合に影響されれば良いのだが。

 日本人は熱しやすく冷めやすい、そして忘れっぽいとつくづく思う。
「咽元過ぎれば熱さ忘れる」の喩えのとおり、そして「熱り冷めれば、」を繰り返す者たち。
過去を振り返り、歴史に学ぶことができないのは、今に始まったことでもないし、人間の宿命かもしれないが、つい先日のことも忘れて、今この瞬間しか見ないのは、いかがなものかと。

 苦言めいた話ばかりだが、ご容赦願いたい。