2009/05/06

忌野清志郎はずっとカッコよかった

 自分の世代にとって、忌野清志郎、RCサクセションは70年代~80年代のヒーローだった。
10代から20代前半までが、どんな素敵な時代だったのかということは、今さら言うまでもない。
 年寄りくさい言い方ですまないが、今の10代や20代の人たちが不憫でならない。
「自分たちの頃は、まだこんなかっこいい兄貴がいたんだぜ。」

そう言えば、僕らの時代はいつも兄貴たちの影の後だった。
ビートルズも、ジョン・レノンも、ローリングストーンズも、ジミヘンも、JJも、クラプトンも、みんな兄貴たちのお下がりだった。
ただ、悔しいことにこれらのお下がりは僕らの超えることのできない神話だった。

そしてみんな歳をとり、世間にまみれる。
気がついたら、ジョン・レノンが死んでしまった歳を過ぎていた。
ロックはとっくの昔に死んでしまったものと思っていた。

けれど、忌野清志郎は違っていた。
やさしい心と表裏のしぶとい精神。
それをもって、ギリギリのところで足を踏ん張り続けていたのだ。

なんだよ、これ、ジョン・レノンそっくりじゃねぇか。



いや、ジョン・レノンさえ超えちゃったんだよね。予定どおり。

2009/05/04

The park in the park

wikipediaにはこんな風に書いてある。

A park is a protected area, in its natural or semi-natural state or planted, and set aside for human recreation and enjoyment. It may consist of, rocks, soil, water, flora and fauna and grass areas.


ところで、私の住む光が丘についてはこういう由来があった。(wikipediaから引用)

"当初は、居住人口を現在の2倍の約7万人にするはずであったが、革新政権だったため半分の規模に縮小され、代わって公園の面積が大きく取られた。"


光が丘ができた1973年頃は美濃部都知事の都政下であり、故に革新政権と呼ばれている。(1971年の統一地方選挙で東京、横浜、川崎、大阪など都市部の社会党共産党の共闘による新首長が誕生した)

この時代、高度成長を背景に余裕のある利益分配ができたとも言われているが、「公害」という言葉が生まれ、環境省が発足したのも1971年であったため、新たに大型の宅地造成をするにあたり環境に対する配慮がなされたのだと思う。


1960-70年代というのはそういう時代だったのだ。そうしてみると1980年代のバブル期に始まり、現在に至る30年間というのが、如何に拝金主義になってしまったのかがわかる気もする。


さて、parkは protected areaだということなのだが、光が丘公園(Hikarigaoka Park)にはさらにprotected areaがある。


そのうち最大のものはバードサンクチュアリ、この区域には一般人は入れない。池越しに覗くことができるだけだ。

おかげでここは正に都市部における野鳥の聖域、多くの鳥が生育しており、渡り鳥も飛来する。

なんと、オオタカさえいるのだ(私はお目にかかったことがないが)。

詳しくはこちら>


猛禽類がいるということは、それだけ豊かな生態系があるということ。

ただ、それは放っておけばできるものではない。

様々な努力や工夫がされているわけだ。

詳しくはこちら>


そして、けっこういたるところで見かけるのが、こんなヤツだ。



ちょっと引くと、こんな感じ。ススキのはらっぱ。

注)芝生が立ち入り禁止になっているのではなく、ススキのはらっぱが立ち入り禁止。


だが、これが秋になると、こんな素敵な状況になったりする。

これは同じ頃のバードサンクチャアリ。



ただ緑があればいいってものではなく、そこにちゃんと、虫や鳥がいて生態系が成り立っている。また、雨水も重要な役割を果たしている。

そういうことをきちんと考えられているって、東京にあるparkとしては上出来だと思う。


ちなみに、現在の東京都はあんまり光が丘公園は好きではないのかな?
東京都の広報誌にはあんまり登場していない。

「公園に行こう」(東京都公園協会の情報サイト)

Sports park full of nature なんだそうだ Hikarigaoka Parkは。


でも、ウグイスの声が聞こえたり、たまにはシジュウカラが間違えて、マンションに巣づくりをしてしまう(->数年前にウチであった出来事)この場所を私はこよなく愛している。