2011/09/24

「日本学術会議」の報告について

2011年9月22日
「日本学術会議」より「エネルギー政策の選択肢に係る調査報告書」が出された。

私は科学者ではない。なんらかの権威でもない。しかし、報告書を読んだ国民の一人として、すぐに改訂して欲しいと思われる点が多々ある。

これは決して「日本学術会議」を誹謗しようとするものではなく、権威として国民に納得のいく報告書を作成して欲しいという願いからである。

私のようなものが書かずとも、多くの識者が指摘していただけるとは思うが、まずは一般市民としての意見を記したい。

羊頭狗肉

自民党政権の末期、相次ぐ不祥事により、多くの閣僚が辞任した。最後には首相までもが、理由もわからず政権を放り出す始末となった。
そのような状況は自民党政権の終わりを予感させるものだった。

2011/09/13

9月11日 不屈の民

9月11日夜 新宿アルタ前
大熊ワタル・ジンタらムータによる「不屈の民」 「平和に生きる権利」の演奏を 夜空を仰ぎながら聴く。

 


2011/07/24

半世紀 "Nuclear Age"

50年という歳月は、たぶん自分がこの世に生まれてからの歴史を振り返るのには丁度よい歳月なのだろう。
この世というものが、一体どういうものであるかが大体わかり始めてくる気がする。
「五十而知天命」という言葉は理にかなっていると思う。

私たちが子供の頃、まだ、親たちは太平洋戦争の頃の話をしていた。
お盆の時期になると親戚が一同に集まる。そうすると必ず「空襲」のときの話を親たちはしていた。
私の生まれた埼玉県熊谷市は終戦の前日に空襲となり、多くの人たちが命を落としたのだ。

私が生まれたのは1960年、考えてみれば、終戦から15年しか経っていないのだ。
15年前の1996年といったらインターネットが日本に普及し始めた頃だ。

2011/06/27

A Dream Bird Sitting on Eggs

カナダでアート・セラピーを行っている元学友のEikoが僕にプレゼントしてくれた絵。

3年前に妻がmixiで偶然に知り合ったことをきっかけに再会した。学生時代には、あまり口を聞くこともなかったのだが、やはり私たちは同類であるが故に、すばらしく個性の強い大学で出会ったのだと思える。
学生時代には、話してくれることもなかった彼女の生い立ちなども、カナダに遊びにいったときに聞かされた。
全く同じではないが、自分も似たような境遇であったかもしれない。


彼女は、自分の心と向き合い、とっくの昔に自分の道を歩むことを決めた。

自分は、これまでなんとか社会に合わせながら「普通」の道を選び、できれば自分を見失うことがないようにしてきた。
だが、50歳を過ぎ、そして日本という国の「当たり前」が壊れつつある今、なんだかとっても、妥協を自分に許してきた人生を続けることが勿体なく思えてきた。

啐啄同時」(啐啄同機)という禅の言葉がある。
Eikoの絵を見たときに、すぐにそれであることがわかった。
もちろん、自分の心の中に「啐啄同時」のタイミングとはいつなのかが、ずっと気になっていたからに他ならない。そして、Eikoがその絵を見せてくれたとき、それはもう今なのだと思った。

親鳥は雛が生まれ来る時を知っている。
では、雛はどうなのか。おそらくは、意識が覚醒し、自分を包む固い殻が窮屈になるのだろう。
それまで、自分を守っていた殻、そして、その外からは温かみが感じられる空間。
それが、ある日を境に自分にとっての不自由であると感じる。
どうしたらこの外に出れるのか。殻の中で蠢く日々。たぶん、その蠢きを親鳥は感じるのだろう。
そして、ある日、自分を保護していた「殻」を自らの嘴で「啐く」。
雛鳥には、その選択肢しかないのだ。

もし、親鳥がそこにいなければ、力尽きてしまうだろう。
あるいは、そこにいるのが、親鳥だけでなく、親鳥を襲おうとする猛禽や、蛇などであったどうするか。
しかし、雛鳥には、殻を破ろうとすることしかできない。
そのときは親鳥が外からそれを手助けするはず。それを信じるしかない。
そして自分が「飛ぶ生き物」、鳥として生まれたということを受け入れるしかない。
自分を覆っていた固い殻は鳥であることの証なのだと。


A Dream Bird Sitting on Eggs


The dream bird lays her eggs.
They all contain various potentials.
However, the baby birds will come into the world when the time is ripe.

The dream bird knows the moment
when to peck the egg shell open.
Until then, the potentials are incubating,
developing into maturity.
Then new dreams will come true
The moment the baby birds are born.

by Eiko

2011/05/14

使用済み核燃料棒を冷却する

浜岡原発が止まった。何故浜岡が最初なのかという賛否はあるが、ともかく総理大臣の要請で原発が止められたという実績は評価すべきだと思う。

だが、「止まったから安全」ではないということは福島の4号機の例を見るまでもない。

原発の根本的な問題は核廃棄物処理である。「トイレのないマンション」と言われるらしいが、映画『100,000年後の安全』 http://bit.ly/manGIu に表現されているように、たとえ大深度の地下に廃棄物を貯蔵するとしても、「100,000年後までの安全」は保障されるわけではない。
私たちは原発による電気を利用するということで、未来に対してとんでもない遺産を残してしまったのだ。

こうした根本的な問題の解決(解決できない?)は兎も角、「核廃棄物」とするまでは「使用済み核燃料棒」を冷却しつづけなければいけない。
「使用済み核燃料棒」を安全に処理し、とりあえずリスクの低い場所に移動しなれば、福島の4号機と同等の問題がすぐにでも起こり得る。これが目下の課題のはずである。

地震の予測は難しいし、あてにならないいう人もいる。しかし、だからこそ今すぐ大地震が発生する可能性は否定できないし、発生した場合の影響を考えて対策しなければいけない。

原発は発生した熱量の3分の1しか発電に使わず、残りの熱量を「排熱」として捨てている。そしてその「排熱」を電気を使って冷却している。原子炉を止めて発電をしなくなった後でも、電気を使って燃料棒を冷却しなければならないのだ。
トラブルを起こし、既に発電をしていない「もんじゅ」も同様に今でも莫大なコストがかかり続けている。

そして、自ら発電しなくなった原発は、他のシステムに依存して電力供給を受ける側となる。このシステムが何らかの事故で故障して機能しなくなった場合、福島の4号機と同等の問題が発生する。

ゆえに、この冷却することによって安定させるというシステムこそ、効率を上げ、多重化する必要があるのではと思うのだ。

実は、3.11以前に排熱を利用した発電システムに興味を持ち、国内でもいくつかの取り組みがあることを知った。
元々、日本は省エネ技術には長けている。そして、こういった技術開発は継続的に行われてきたのだ。

スターリングエンジンやゼーベク素子を使ったものは既に製品化されている。

スターリングエンジンについてはこちらがわかりやすい。


複数工場間の低温排熱利用システム|環境への取り組み|AOCホールディングス http://bit.ly/mbIC1w



さらに、低温の排熱を利用するシステムもある。
ロータリー熱エンジンなどだ。技術・製品 - 株式会社ダ・ビンチ http://bit.ly/jpuafN


これらの製品は原発の安全性を高めたりする目的でつくられたものではない。
しかし、他のシステム系に依存しない、自律型の廃熱発電システムは、冷却を維持しなければならないような原発にとっては、非常に効果の大きいシステムと言えないだろうか。

もちろん、原発のような非効率で危険なシステムはなくなった方がよいし、排熱発電システムはそれにとって代わるものの一つだ。しかしながら、古い仕組みに退陣いただくまでは、何かがその世話をしなければならない。
そういう意味で後処理を手伝いながら、未来を創造できる仕組みこそが、今後力を入れて取り組むべきものだと思う。

「原発停止」というと、ネガティブな議論ばかりが行われている傾向があるが、実はそれだけではないということだ。