2011/09/24

羊頭狗肉

自民党政権の末期、相次ぐ不祥事により、多くの閣僚が辞任した。最後には首相までもが、理由もわからず政権を放り出す始末となった。
そのような状況は自民党政権の終わりを予感させるものだった。


以下は2007年の5月~8月(4か月間)に起こったことだ。

・年金記録問題
・農林水産省所管の独立行政法人・緑資源機構談合問題
・松岡農林水産大臣(当時)、首吊り自殺
・久間大臣発言問題
・赤木(前)農林水産大臣事務所費問題
・食肉偽装問題
・コムスン介護報酬不正請求問題
・中越沖地震
・柏崎原発事故
・参院選挙自民大敗
・赤木(前)農林水産大臣辞任




厚生労働省、農林水産省など、国民の健康や食糧など生活に直接関わる国の機関に多くの問題点が露呈した。そして、中越沖地震とともに、柏崎の原発事故も起こったわけであるが、このときに「原子力安全委員会」や「保安院」という名前を聞くことはなかったと記憶する。

年金問題について言えば、記録を正すということについては多くの費用をかけて実施されてきたのであろうが、消えた年金が戻ってくるわけではなく年金制度が正常になったわけではない。

結局は大臣の首が変わるだけで、本質が変わったわけではない。
そして、民主党政権となり、少しは政治主導になるのかと思いきや、事態は全く変わったように思えない。

【羊頭狗肉】とは、羊の頭を掲げて犬の肉を(羊の肉だと思わせて)売ったことに由来する故事成語である。

しかし、これを現在の行政(国)のあり方とたとえてもよいだろう。
大臣という「羊の頭」を置く、肉の評判が悪くなったら文字どおり頭をとり替えて売物が変わったかのように見せかける。つまりは、無限に「羊頭」を変えることで「狗肉」は狗肉でありつづける。


民主党政権に替わることで、本来、国民が望んでいたのは、狗肉を放逐することだったはずだ。 もう「羊頭」という意味のない看板を掲げることをやめよと。
しかし、行政機関そのものが狗肉でありつづけ、政権がそれを変えるということができないという事実が目の前にある。
政党政治の政党というものが「羊頭狗肉」であったのだから。


狗肉を売り続けることが「経済」であるという者たち。

その実態は、今回の東北大震災と福島第一原発の事故、そしてその後の対応によって明るみに出されてはきたが、癌は我が国という身体の中の様々なところに転移しているようだ。
電力利権という最大の利権に群がり、しがみつくものたちの実態は、自分たちの組織の当面の維持という思考だろう。

たとえ国家財政が異常な事態になっていても、その異常事態の中でも自分たちだけは保護されるという傲慢な体質。
国家財政を破たんさせた癌細胞を活かすために、さらに国民の生活という身体は犠牲を払わなければならないのか。

そこには被災者への思いや、この国の未来への思いなどなにもない。
さらに言えば、それを敢えて見ないようにしている者も共犯者であることは付け加えておきたい。
それほどに病は深刻なのだ。

国民主権と言う言葉は、敗戦後に占領国である米国からもたらされたものであるが、私たちはそれが実体があるように錯覚していただけだ。
明治以来の官僚主導は、民権運動が功を奏さなかったように、現在も変わっていない。
これを変えることができるのは、我々一人ひとりが有権者であり、利権を貪り続ける者に直接NOをいうことしかない。

狗肉は狗肉であると言わねばならない。

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