2011/09/24

「日本学術会議」の報告について

2011年9月22日
「日本学術会議」より「エネルギー政策の選択肢に係る調査報告書」が出された。

私は科学者ではない。なんらかの権威でもない。しかし、報告書を読んだ国民の一人として、すぐに改訂して欲しいと思われる点が多々ある。

これは決して「日本学術会議」を誹謗しようとするものではなく、権威として国民に納得のいく報告書を作成して欲しいという願いからである。

私のようなものが書かずとも、多くの識者が指摘していただけるとは思うが、まずは一般市民としての意見を記したい。


各シナリオにおけるコストの試算について

公平と言っている6つのシナリオにおいて重要な要素はコストであるが、このコスト試算に用いられている数字が概ね正しいというものでない限り、評価は公平でないのは自明なことである。

科学者として用いる数字に対しては信頼できる根拠を持たなければならない。 用いられた数字が従来の公共機関によって提示されたものだというだけで、その信憑性を疑わないのであれば、科学者としての使命における怠慢ではないかと思われる。
根拠が乏しいのであれば、数字を提供している機関に対して「根拠を示せ」というのが科学者のあるべき姿だろう。


P.44-45
  ア 原子力発電の発電コストについては、様々な金額がある。本試算*では、以下(ア)~(ウ)の 3 つのケースについて算定した。なお、③ アに示した、原子炉新増設の費用、廃炉費用、賠償関連費用、安全対策費用等が追加されると発電コストに上乗せされる可能性がある。ただし、本試算*では金額を確定できないため、以下の(ア)~(ウ)の金額をそのまま原子力発電コストとして用いた。

(ア)資源エネルギー庁の試算5.9 円/kWh モデルプラントを想定して発電コスト
(イ)立命館大学国際関係学部大島堅一教授の試算 12.23 円/kWh 有価証券報告書総覧の記載データからの算出したコストに加え、国による立地対策費、研究開発費用、揚水発電に係る経費を含めている。
(ウ)電気新聞(2011 年 8 月 23 日)による政府試算とされる報道 20.2円/kWh


これでは原発に関わる費用として以下が試算の中に含まれていないか、低く見積もられていることになる。

1.原子炉の新増設費用
2.廃炉費用
3.賠償関連費用
4.安全対策費用
5.国からの立地対策費及び研究開発費

平均化すれば、低い値に傾いてしまうのであり、モデルプラントという「理想の見積」は外すべきである。
そもそも、コストが不明になっていること自体を大きな問題とすべきなのだ、どうして現状稼働しているもののコストが出せないのか。
現状見えているコストとして(イ)は事実であり、見えていないコストを踏まえれば、正しいコストは(イ)と(ウ)の間か、それ以上であるはずだ。
 ※しかも(ウ)はP42 <参考 2>評価指標による比較からははずされている。


今回の報告は福島第一原発の事故を受けての報告であり、今後原発を稼働させていくのであれば、これらの費用が「無視されている」~「現状までのコスト」で試算されるというのはおかしなことである。
そしてもちろん、これらに原発の最大の問題点である「最終処理」が含まれていないのは、議論以前の問題である。


地震国である日本において、原発を稼働させるということが如何にリスクの高いことであり、地震発生の少ない他国の比ではないことは明らかなことである。

このようなリスク計算を事故後も行なわずに、現状コストさえも薄める形での報告を提出する、「日本学術会議」という権威の科学とはどのようなものかと思ってしまうのである。

一方で、コストが下がることが必至であるものを試算しないのもおかしな話である。
2012-2016年の5年間に、今までほとんど促進していなかった再生可能エネルギーを促進した場合、改善率が0ということはあり得ない。
これには、ドイツ等、欧州でのコスト減など参照すべき数値はあるはずである。


環境に対する影響評価について

原発が発電時にCO2を排出しないということでゼロエミッションとするのは正しくない。
火力以上の出力による排熱は、すべて海に排出しているのが日本の原発であり、生物多様性に対する影響、日本近海の海面温度の上昇は地球温暖化とも無関係ではない。
日本近海の海面温度の上昇は、例えば台風が日本近海に近づいても勢力を下げないという原因の一つとしても考えられる。

P42 <参考 2>評価指標による比較
 において、原発が通常時に何も問題がないようなまとめ方はどうか?
運搬におけるリスク、濃縮ウラン生成時における環境影響もここでは引き合いに出されるべきである。


まとめ

備考やコメントに様々な説があることを述べてみても、それは報告を読む者にとっては、参考程度にしかならない。
つまりは公正な指標を提示することができなければ、権威としての役割を果たすことはできず、科学的判断という責任を読み手に委ねているにすぎない。

「日本学術会議」は原発の導入時に際し、検討を行ったものの判断となる材料を提示できず、やがては産業と政府主導という形で完全にイニシャティブを失ってしまうという負の歴史を持っている。

そのことが今回の事故発生や再生可能エネルギー利用において世界に大きく立ち遅れてしまったことと無縁ではないことは意識してほしい。


「日本の学術を代表する公的機関である日本学術会議は、この大規模原子力災害の発生を深く憂慮し、科学者としての責任を痛感するものである。」
と冒頭に記するのであれば、巻末にある以下の参考程度の提言を行うのが、今果たすべき役割なのではないだろうか。

P.56
<参考 5>ドイツの The Ethics Commission for a Safe Energy Supply 委員会から 2011年 5月30日にメルケル首相に宛てた提言書
P.60
<参考 6> ドイツ自然科学アカデミーLeopoldina の提言

困難に直面した現在、科学的知見による「道しるべ」を示すのが科学者としての在り方であると思う。
二度の原爆投下を経験し、中小何度もの事故を経てなお、真摯にエネルギー問題を見つめてこなかった結果が今回の国を揺るがす大事故となっているのだから。

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