2012/12/07

政治参加とは --臆せずに話す--


先週、昔の仕事仲間から電話があり、どこの政党に投票したらいいのかわからないと相談を受けた。彼は真面目に自分の一票を大切にしたいと考えていて、政策課題として何を挙げているかを重要視したいと。でも正しい情報がどこにあるかわからないということだった。
そこで私は都知事選も含めて、自分の推している候補者と政党を挙げて、その理由を整理してお話した。政策課題の優先順位についてもお話した。
すごく納得してもらった(気がする)
彼みたいに素直にわからないから教えてくださいという人は少ないだろうし、わからないときに誰に聞いたらいいのか、そもそお聞いていいのかわからないというのが多くの人の実情なのではないだろうか。

昨日は親族に近い人に会って、こんな話を聞いた。
「なんだか色んな政党があってよくわからない、私はなんとなく自民党にしちゃうんだけど。。。」
私はこう切り返した。
「私もかつては自民党を支持していましたけど。。もう後戻りはないと思う」

自分が正しいと思っていることを臆せずに話すことが基本だと思う。
そうすれば、そこから政治参加が始まる。
民主主義においては必須の過程だと私は思っている。

かつての保守対革新という単純な政党対立ではないので違いがなかなかわからない。
でも、自民党政治がダメだったから、前回選挙で民主党が政権を取った。この国民の選択の意味は大きく、そして間違いではなかったと思う。しかし、民主党政権はそうは簡単に自民党政権時代につくられた権力構造は変えきれなかったし、次々とその大きな矛盾点に飲み込まれていった。マニュフェストという言葉が空虚な言葉となった。

小政党が乱立しているようにも見える。
しかし、大きな流れでみれば、今までは政党政治であって政党政治とは言えない体制が永く続いていたのだ。
そこで意思ある政治家は新しく党を立ち上げて、ある意味の「理想」を国民に問うているとも言える。時代が急激に変わりつつあるわけだから、政治体制も変わっていくのは当然だとも言える。
けれども、今まで大きな権力の側にあった方は、それを手放したくない。様々な手段を使って「変える」ことにブレーキをかける。だから、政治とは常に「理想」が「現実」や「既存権力」に引き戻されるものなのだ。
だとすれば、困難であることはわかっても、考え得る理想を掲げることは政治の基本ではないのだろうか。
国民は選挙で騙されるのかもしれないが、同時に少しでも現状を変えて欲しいと願い投票することが大切なのではないか。

さて、古き骸となりつつある政党という袋に未だに身を置いて
「私はこの党を愛しているから、今の党の政策と自分の考えは違うが、党に留まって変えたい」というようなことをおっしゃる候補者さんは、選挙に向かう国民のことを本当に考えているのか?
10年も前ならそれは理解し得る。しかし、今はどうなのだ。わかりづらい振る舞いが、投票者の選択を迷わせることになっていないか? 政治家の姿としてどうなのか。今回はそれも問われているように思える。

さらには、大手マスコミにおいても目に余る誘導的な報道が行われる。
はっきり言おう、国民の多くは愛想が尽きている。
選択枝が提示されれば、そちらに大きく傾く。要は時間の問題なのだ。気付く国民が増えれば増えるほど、偽りの情報はいつかは暴かれる。要らないものが自然と捨てられる。

国民がきちんと政治に向かい、投票という権利を有効に使う、すべてはこれが前提である。
その意味では今回の選挙は従来からの大きな転機になりそうであることは間違いない。
今は国民の集合意識が「吉」を選択することを願う。
一人でも多くの人が「なんとなく」ではない投票を行えばそれは変わる。
そうなること信じたい。
だから、微力であっても私は話をすることにしている。短い期間だが自分の身の回りと話すだけでそれは変わり得る。

0 件のコメント :