京都議定書(Kyoto Protocol)が議決されたのも10年前のことである。当時の米副大統領アル・ゴアは批准を推進したが、電力・自動車業界などの反発に合い、クリントン大統領は批准を断念した。続く、ブッシュ政権はこれを継承するとともに、「温暖化の事実の否定」さえ行なっていった。最近公開された、アル・ゴア自身による「不都合な真実」にはそのことが、克明に描かれている。一旦は彼が大統領になったかに思えた選挙は、フロリダで最終的にブッシュに敗れることになる。落胆の一瞬。マイケル・ムーアの「華氏911」の1シーンが思い起こされる。
そして、不都合な者を「テロリスト」と呼び、戦争を正当化するプロバガンダが横行し、世界中を巻き込んでいく時代に突入していった。同じく最近に公開されたクリント・イーストウッドの「父親たちの星条旗」には政権が戦争遂行のために行なうプロバガンダが作られていくさまが描かれている。
まともな考えが通用しなくなってしまったような時代においても、米国にはこうした現政権を批判する作品がつくられ公開される。そうして、二大政党制特有の揺り戻しがある。批准されていない京都議定書への見直しの動きも出始めている。米国の批判精神は健全さをまだ保っていると言えるだろう。
EU諸国は-8%の数値目標をクリアする国々が出始めている。オランダのロイヤル・ダッチ・シェル社では所有する古いパイプライン施設を転用して、CO2を契約した農場に販売するシステムを構築。農場では余剰のCO2を購入してプラントにて植物に配布することで収穫量を向上させているという。エコノミーとエコロジーが両立したわけだ。
京都指定書に批准した我が国の目標数値は-6%。しかしながら、10年後の現在の実情は+8%である。ブッシュ政権時代に米国に追随していった我が国は、CO2増加においても米国に追随したようだ。
米国は今、政策を変えようとしているし、もはやブッシュ政権は末期を過ぎようとしている。しかし、現在の日本政府と米国政府とのつながりは希薄なように見える。最近では外交方面においても米国にふられているようだ。
そもそも、この10年間も誰かのパフォーマンスばかりで、米国との良好な関係があったとは思えないのだが。それが証拠に米国嫌いな人々は最近やたらと増えたような気がするは、気のせいだろうか。
ところで、この10年たいした経済発展もしていないように見え、大目に見ても8%のCO2の増加に値する生産性が向上されたとは思えない。どうみても非効率なことが行なわれているとしか考えられないのだが、その正体は何だろうか。
例えば、10年前にはありえなかったこととして、サービス残業がどこでも当たり前になったこと。残業というコストが削減されたのではなく、残業というコストを考えなくてよくなった。すなわち時間あたりの効率を上げること、時短ではなく、成果のみを求めて効率を「自己責任」として押し付けることが当たり前になったことがあげられる。また正社員を減らし、パートタイム、派遣社員、外注化によって固定人件費を削減し、尚、正社員と正社員以外の差別化を徹底化するなども賃金を下げることに徹底した結果といえるだろう。
これらが、結果として非効率な生産に影響しているのではないかと考えるのは私だけだろうか。
「正社員だけが有能なわけではない」と主張する派遣社員が活躍するTVドラマが流行っている。マンガのような話だが、私も共感するところがある。97年頃、私は某携帯電話会社に派遣社員として勤めさせていただいたが、当時仕事が面白かったのは、派遣社員の私を正社員と同等に扱ってくれようとした叩き上げの上司がいたからだ。ダイナミックな人材登用がそのときにはあり、派遣という勤務形態もそれに一役買っていたと思えるのだが、今は全く別方向の方向に向かっている気がする。
一方で、教育問題が喧伝されているわけであるが、「何をいまさら」と私は思ってしまうのだ。
私の生まれる以前から肩書きだけの「学歴社会」という問題はあった。しかし、未だにこの問題が放置されたままどころか、デファクトスタンダードばりに改善される兆しもない。肩書きだけの「学歴社会」のために「受験戦争」があり、「考える教育」がされなかったのではないか。そのための「ゆとり教育」ではなかったのか。結局「ゆとり教育」とはカリキュラムを減らしただけの「ゆるゆる教育」であったことが判明したが、文部科学省はそれを認めようとしない。「受験戦争」の勝者である彼らは「間違えない人々」であるわけだ。
しかし、間違えもしなければ、新しい答えがでるわけでもなく、「美しい国」づくりのための教育がされていくのだろうか。CO2削減にも貢献できない美しい国のために。
指導力、判断力、批判力、これらが今後のダイナミックな10年に必然のものとなるはずだが。子供たちの教育を考える前に自分たち大人の社会の見直しをしなければならないと思うのだが。大人が変われば子供も変わるのだから。
2007/03/11
2007/01/07
ナホトカ号
10年前の今日、 ロシア船籍タンカーが大しけの日本海(島根県隠岐島沖)にて破断事故によって浸水沈没し (1月2日)、船体から分離し漂流した船首部分が大量の重油とともに福井県三国町安島沖に座礁した。 「ナホトカ号重油流失事故」。
阪神・淡路大震災を経験したこともあり全国からボランティアが集まり、汚染された海岸の清掃にあたった。
NGOやボランティアはインターネットを活用し、迅速な情報収集と配信を行なえた。ネットワーク元年とも言われている。
当時、私は8年間勤務していた会社を退職し、何か自分が役に立てることを探していた。阪神・淡路大震災のときには、なかなか情報を得られなかったのと行動を躊躇していたため、震災後の様子を確認することはできたものの何も役に立てなかった。しかし、この事件のとき私は某NGOの活動に参加しており、その仲間が所属していた某自然食品宅配会社の呼びかけによるボランティア召集に応じて、深夜バスで三国町に向かった。
参加していたインターネットのメーリングリストにも、現場の様子や海外からの支援申し出などの様子が報じられていた。それに対して行政側の対応は、いかにも後手後手となっているように思えた。関係省庁、自治体の連携対応ができているとは思えなかった。三国町の美しい海岸線に無残に漂着した重油を私たちは手柄杓ですくうしか方法がなかった。
10年たった今、状況はどのように変わったのか?
事故の解決は補償問題だけではないはずだ。再度同じような事故が起こった場合に、もっと迅速に関係省庁や自治体が動くことができ、被害を最小限に止めることができるのか。事故後、NGO やその他の民間団体を中心に「ナホトカ号から学んだこと」を原点に様々な取り組みがされたことは聞くが、行政機関では何らかの改善が行なわれたのだろうか。政治家が蟹を喰うパフォーマンスをしていたことは記憶しているが、それではお話にならないだろう。
事故後の重油で汚染された砂の処分に関して、産業廃棄物業者の不正をきっかけに問題が発生しているというニュースを最近見かけた。
参考:
MSNニュース 毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20070105k0000e040075000c.html
読売ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/feature/kankyo/20060808ft05.htm
こうした環境災害から生態系や野生動物を守るということに関しては、災害でなくとも生態系や野生動物を守るということにどれだけの配慮があるのか、我が国の行政の方針は見えてこない。特に海洋の生物(海岸を含む)に関してはすべて水産資源とみなされ、水産庁の管轄になっているのが現状だが、水産庁が行なっている「資源調査」には保全するという観点や生態系という観点が抜け落ちているのではないかと思うのは私だけだろうか。
それ以上に情報開示がされているのかどうかもわかりずらいのだが。
「環境」という観点からすれば、陸上動物と海洋動物とで管轄官庁が分かれているのもいかがなものか。環境「省」と格上げになったわけだから、農林水産省と対峙する、つまり陸海の生物の扱いを産業側と非産業側とで検討するというのは理にかなっていると思うが。
参考:
水産庁
http://www.jfa.maff.go.jp/
環境省
http://www.env.go.jp/
もう一つ10年後といえば、インターネットという通信インフラの環境も大きく変わった。
もちろん、こちらは環境としてかなりの進歩をしたのだが、その使われかたについてはどうだろうか。一般的になったことはすばらしいことなのだが、ビジネス目的または個人の自己顕示欲のために、WEBはアクセス数の向上ばかりが意識されすぎてはいないだろうか。その中で重要な情報が埋没してしまっている気がする。
特に、我が国では公共の情報公開整備が遅れていることは否めないだろう。我々自身が関心を持つようにすることはもちろん、情報を公開する側の工夫や意識改革が必要だろう。いつまでも「知らしむべからず」では、政治に関心を持ちようがないではないか。
阪神・淡路大震災を経験したこともあり全国からボランティアが集まり、汚染された海岸の清掃にあたった。
NGOやボランティアはインターネットを活用し、迅速な情報収集と配信を行なえた。ネットワーク元年とも言われている。
当時、私は8年間勤務していた会社を退職し、何か自分が役に立てることを探していた。阪神・淡路大震災のときには、なかなか情報を得られなかったのと行動を躊躇していたため、震災後の様子を確認することはできたものの何も役に立てなかった。しかし、この事件のとき私は某NGOの活動に参加しており、その仲間が所属していた某自然食品宅配会社の呼びかけによるボランティア召集に応じて、深夜バスで三国町に向かった。
参加していたインターネットのメーリングリストにも、現場の様子や海外からの支援申し出などの様子が報じられていた。それに対して行政側の対応は、いかにも後手後手となっているように思えた。関係省庁、自治体の連携対応ができているとは思えなかった。三国町の美しい海岸線に無残に漂着した重油を私たちは手柄杓ですくうしか方法がなかった。
10年たった今、状況はどのように変わったのか?
事故の解決は補償問題だけではないはずだ。再度同じような事故が起こった場合に、もっと迅速に関係省庁や自治体が動くことができ、被害を最小限に止めることができるのか。事故後、NGO やその他の民間団体を中心に「ナホトカ号から学んだこと」を原点に様々な取り組みがされたことは聞くが、行政機関では何らかの改善が行なわれたのだろうか。政治家が蟹を喰うパフォーマンスをしていたことは記憶しているが、それではお話にならないだろう。
事故後の重油で汚染された砂の処分に関して、産業廃棄物業者の不正をきっかけに問題が発生しているというニュースを最近見かけた。
参考:
MSNニュース 毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20070105k0000e040075000c.html
読売ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/feature/kankyo/20060808ft05.htm
こうした環境災害から生態系や野生動物を守るということに関しては、災害でなくとも生態系や野生動物を守るということにどれだけの配慮があるのか、我が国の行政の方針は見えてこない。特に海洋の生物(海岸を含む)に関してはすべて水産資源とみなされ、水産庁の管轄になっているのが現状だが、水産庁が行なっている「資源調査」には保全するという観点や生態系という観点が抜け落ちているのではないかと思うのは私だけだろうか。
それ以上に情報開示がされているのかどうかもわかりずらいのだが。
「環境」という観点からすれば、陸上動物と海洋動物とで管轄官庁が分かれているのもいかがなものか。環境「省」と格上げになったわけだから、農林水産省と対峙する、つまり陸海の生物の扱いを産業側と非産業側とで検討するというのは理にかなっていると思うが。
参考:
水産庁
http://www.jfa.maff.go.jp/
環境省
http://www.env.go.jp/
もう一つ10年後といえば、インターネットという通信インフラの環境も大きく変わった。
もちろん、こちらは環境としてかなりの進歩をしたのだが、その使われかたについてはどうだろうか。一般的になったことはすばらしいことなのだが、ビジネス目的または個人の自己顕示欲のために、WEBはアクセス数の向上ばかりが意識されすぎてはいないだろうか。その中で重要な情報が埋没してしまっている気がする。
特に、我が国では公共の情報公開整備が遅れていることは否めないだろう。我々自身が関心を持つようにすることはもちろん、情報を公開する側の工夫や意識改革が必要だろう。いつまでも「知らしむべからず」では、政治に関心を持ちようがないではないか。
2007/01/06
四十にして惑わず...
「四十にして惑わず」と言いたいところだが、この十年間は迷いっ放し、暗中模索もいいとろだった。だが、そうであるからこそ確信が持てることもあるのだと今は開き直りたい。
四捨五入で四十となる、私のこの十年間とは、人生何度か目の挫折から方向転換してIT業界といわれるところに身を投じた十年であり、日本のインターネットの草創期からの十年と言ってもいいのだろう。それはまた、バブル経済が崩壊し、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災などの国内の大事件を経て、日本の安全神話が過去のものとなったお先真っ暗時代に始まり、期待の21世紀の開幕は9.11事件、イラク戦争、などの決して明るいとは言えない事件の続出であった。「失われた10年」とも言われる時代とも重なる。迷いながらも、あっという間に過ぎた私の「不惑」の歳月以前を振り返りつつ、次なる時代へと結びつけられそうなことが書ければ幸いだと思う。
こんなことを書き始めたのも、閉塞感が、もういいかげんに来るところまで来たのだから、振り子のゆり戻しがあってもいいだろうという僅かな期待からである。折りしも、米国では共和党が中間選挙で大敗した。小泉政権も終わった。日本ではまだきな臭い動きが止まらない感があるが、少なからず米国の動きに影響されることは間違いないだろう。 良い具合に影響されれば良いのだが。
日本人は熱しやすく冷めやすい、そして忘れっぽいとつくづく思う。
「咽元過ぎれば熱さ忘れる」の喩えのとおり、そして「熱り冷めれば、」を繰り返す者たち。
過去を振り返り、歴史に学ぶことができないのは、今に始まったことでもないし、人間の宿命かもしれないが、つい先日のことも忘れて、今この瞬間しか見ないのは、いかがなものかと。
苦言めいた話ばかりだが、ご容赦願いたい。
四捨五入で四十となる、私のこの十年間とは、人生何度か目の挫折から方向転換してIT業界といわれるところに身を投じた十年であり、日本のインターネットの草創期からの十年と言ってもいいのだろう。それはまた、バブル経済が崩壊し、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災などの国内の大事件を経て、日本の安全神話が過去のものとなったお先真っ暗時代に始まり、期待の21世紀の開幕は9.11事件、イラク戦争、などの決して明るいとは言えない事件の続出であった。「失われた10年」とも言われる時代とも重なる。迷いながらも、あっという間に過ぎた私の「不惑」の歳月以前を振り返りつつ、次なる時代へと結びつけられそうなことが書ければ幸いだと思う。
こんなことを書き始めたのも、閉塞感が、もういいかげんに来るところまで来たのだから、振り子のゆり戻しがあってもいいだろうという僅かな期待からである。折りしも、米国では共和党が中間選挙で大敗した。小泉政権も終わった。日本ではまだきな臭い動きが止まらない感があるが、少なからず米国の動きに影響されることは間違いないだろう。 良い具合に影響されれば良いのだが。
日本人は熱しやすく冷めやすい、そして忘れっぽいとつくづく思う。
「咽元過ぎれば熱さ忘れる」の喩えのとおり、そして「熱り冷めれば、」を繰り返す者たち。
過去を振り返り、歴史に学ぶことができないのは、今に始まったことでもないし、人間の宿命かもしれないが、つい先日のことも忘れて、今この瞬間しか見ないのは、いかがなものかと。
苦言めいた話ばかりだが、ご容赦願いたい。
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